福田の“基準”ってのは、ホンマによく判らんね。
沖縄「慰霊の日」63年目の誓い…首相ら参列し黙とう(読売新聞)
沖縄県は23日、「慰霊の日」を迎えた。沖縄戦の組織的戦闘の終結から63年。糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」(県主催)が開かれた。仲井真弘多(ひろかず)知事は「戦争の記憶を正しく伝えること、二度と戦争を起こしてはならないと確認し続けることが沖縄の原点」と平和宣言した。式典には福田首相、仲井真知事、遺族ら5670人(午後0時半現在)が参列した。
戦没者名を刻んだ刻銘碑が並ぶ同公園内の「平和の礎(いしじ)」には早朝から遺族が手を合わせていた。碑には128人が追加され、総数は24万734人になった。
沖縄で慰霊するのは問題なくて、靖国神社を参拝して慰霊するのは駄目?どっちも戦争の犠牲者であることには変わりないじゃん。一体基準は何なんだよ。少なくとも「日本人として」という立場であれば沖縄も靖国も重みは同じな訳で、すると福田の判断基準は「日本人として」のものではないということですわな。
余談だけど、
>戦争の記憶を正しく伝えること
これが所謂「沖縄の主張」と言われるような記憶じゃないことだけは確かだ。
一方的に集団自決が日本軍の命令だという事にしたり、それをさらに誇張して「日本軍による“沖縄大虐殺”があった」などという妄想を撒き散らす輩のいうことが「戦争の正しい記憶」であるなどというのなら、そんな記憶は今この瞬間に消し去るべきだ。少なくとも、沖縄をダシにしたサヨク扇動家が全く関与していない環境での調査と確認を行わない限り、永遠に「戦争の正しい記憶」なぞ得られないし、伝えることなど不可能だ。
更に余談。
確かに沖縄では日本国内で唯一地上戦が行われた(本当は占冠島の対ソ連戦があったから“唯一”ではないのだけれど)土地かも知れないが、それを以て「沖縄だけが悲惨な戦争の犠牲になった」と言うような主張には賛同しかねる。
なら言うが、沖縄は本土の主要都市が受けた、B29によるナパーム弾の絨毯爆撃のような、完全に逃げ場を失ってしまうような攻撃に晒された事はあるのか?しかも、一度ならず何度も繰り返される絨毯爆撃に。沿岸部で軍事施設も併せ持つ都市では、それに米艦隊による艦砲射撃までもが加えられたのだ。それらがどれほどの恐怖をもたらし、どれほどの被害をもたらしたのか、沖縄は理解しているのか?
なにも戦争の被害を受けたのは沖縄だけではない。千島列島の先端から台湾に至まで、およそ当時の日本全土が戦争に巻き込まれたのだ。にも関わらず、如何にも沖縄だけが“内地”に代わって犠牲になったのだというような主張をする連中を、朕は理解しないし、許しもしない。そういう“沖縄の独善”を、いつまでも放置してはいけないと思うのだ。
そして、繰り返しになるけど、そういう観点から考えると福田のダブスタもまた許し難い行為なのだ。
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「沖縄の日本軍の行動に見られるように、これほど努力し、勇敢にしかもあらゆる困難に耐えて、文字どおり滅私奉公の精神をもって国家のために敢闘することができるような軍隊は、おそらく世界中どこにもないであろう。
いかなる困難に直面しようとも、結果がどうなろうとも、その面目にかけて全力を尽くして戦ってみせる、という気迫をもって戦い抜いた国民はどこにもないであろう」
こういう日本軍が、一般市民に暴力など振るう訳が無い。もしあったとしてもそれはほんの一部でしょう。
日本軍は沖縄のために、日本のために必死で戦った。これが事実です。
沖縄に感じる違和感ってこれだったのか!と目から鱗。流石!