光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で、鬼畜の所行を犯した上に全く反省の色の見られない犯人に対して死刑判決が下されました。極めて常識的な判断といえるでしょう。
光市母子殺害、当時18歳の男に死刑判決…広島高裁(読売新聞)
1999年4月、山口県光市の会社員本村洋さん(32)方で、妻の弥生さん(当時23歳)と夕夏(ゆうか)ちゃん(同11か月)が殺害された事件で、殺人、強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元会社員(27)(犯行時18歳1か月)の差し戻し控訴審判決が22日、広島高裁であった。
楢崎康英裁判長は「死刑を回避すべき事情は認められない」と述べ、無期懲役の1審・山口地裁判決を破棄、求刑通り死刑を言い渡した。元会社員側は上告した。
差し戻し審で元会社員側は、母子への殺意や強姦目的を否定する新たな供述を行った。弥生さんについて「自殺した母親のイメージを重ね、甘えたいとの気持ちから抱きついたら抵抗され、誤って死なせた」「生き返ってほしいという思いから強姦した」、夕夏ちゃんについては「首を絞めた認識がない」と新たに主張した。
楢崎裁判長は、その信用性について「起訴後、6年半以上経過してから新供述を始めたのは不自然。死刑回避のための虚偽供述で、酌量すべき事情を見いだす術(すべ)がなくなった」と指摘した。弥生さん殺害について「右手で首を押さえて死亡させた」とする元会社員側の主張を「遺体の状況と整合しない」と退け、強姦については「性的欲求を満たすためと推認するのが合理的。女性が生き返るという発想は荒唐無稽(むけい)で到底信用できない」と、計画性も認定した。夕夏ちゃん殺害の殺意を否認する供述の信用性も否定した。
犯行について「極めて短絡的、自己中心的で、結果は極めて重大」と指摘したうえで、死刑を回避すべき事情があるかを検討。事実認定を争う差し戻し審での元会社員の態度について、「自分の犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し、死刑回避に懸命になっているだけで、遺族への謝罪は表面的。反省謝罪の態度とは程遠く、反社会性は増進した」と述べ、「18歳になって間もない少年であると考慮しても極刑はやむを得ない」と述べた。
1審・山口地裁、2審・広島高裁判決は、検察側の死刑求刑に対し、元会社員の犯行時の18歳という年齢や、更生の可能性などを理由に、いずれも無期懲役を言い渡した。しかし、最高裁は2006年6月、上告審判決で「少年だったことは死刑回避の決定的事情とまでは言えない」と判断。「2審判決の量刑は甚だしく不当」として破棄し、審理を同高裁に差し戻した。
犯行当時、18歳だった元少年への死刑判決は、連続4人リンチ殺人事件に対する2005年の名古屋高裁判決(上告中)以来で、少年の重大事件に対する厳罰化の流れに沿った判断となった。最高裁が83年に示した死刑適用基準の指標とされる「永山基準」以降、犯行時に少年だった被告の死刑判決が確定したのは2件。いずれも犯行時19歳、被害者は4人。
◆「一つのけじめついた」◆
本村洋さんは判決後、広島市内で記者会見し、判決への思いなどを語った。
◇
私が抱いていたすべての疑問を解消してくれた、すばらしい判決文だった。言葉にできない万感の思いがある。広島高裁に感謝している。一つのけじめがついたことには間違いない。2人の墓前に早く判決を報告したい。
ただ、死刑判決は決してよいこととは思っていない。厳粛な気持ちで受けとめている。
今日は、被告が真剣に聞いているか、納得して聞いているかを知るために、被告の背中をじっと見ていた。胸を張って死刑を受けてほしい。自らの命をもって罪を償ってほしい。
被告がこれまでの主張を翻したのが悔しい。うその供述だったのなら、どうか真実を述べてほしい。
(被告から届いた手紙の)開封は一生しないだろう。罪を逃れるために書いたものだ。今回の判決後に書かれたのなら見てもいい。
被告の上告について動揺や憤りはない。ただ、理由だけは知りたい。
冒頭にも書きましたが、この死刑判決は極めて当然の判決。もっといえば、単に「死刑」というだけでは全く飽き足らないと思いますよ、朕は。楽に死なせちゃ駄目だよ、あんなゴミ。
極めて自己中心的な動機で鬼畜の所行を働いたのみならず、反省の色も謝罪の念も全くなく、これまたゴミクズ以下の腐れ弁護士とグルになって被害者と本村さんを更に侮辱するが如く幼稚な理論を振りかざしていたのですからね。そんなゴミには、被害者が受けた以上の苦痛と恐怖をジワジワと与えて、地獄の苦しみの中で絶命させるべきでしょ。例えて言えば、小説「ハンニバル」に出てくる「生きながらに凶暴な野豚に貪られながら絶命する」というくらいでも足らない。
とはいえ、現実には日本の法律にはそういう刑罰はありませんから、せめて最高裁で速やかに死刑を確定させ、粛々と死刑を執行していただきたい。
今回の判決の評価するべき点は毅然と死刑判決を下したという事の他に、死刑を妥当とした判決内容の明確さにあるかと思います。本村さんをして
「私が抱いていたすべての疑問を解消してくれた、すばらしい判決文だった。言葉にできない万感の思いがある。広島高裁に感謝している。」
という言葉が出るほどに論旨明快な判決は、これこそが「判決」であるというお手本のようなものです。いつぞやの「イラク傍論暴論判決」のような、黒を白と言いくるめる論理不可解な、そして被告人の上告の権利を不当に奪った、欺瞞に満ちた判決とは全く異なります。同じ高裁レベルなのにね。
ところで、この死刑判決を巡る動きの中で朕は、やはりサヨク・ヒダリマキは「人でなし」「ろくでなし」「冷血漢」「人間のクズ」であるとの思いを更に強くしました。
まずそのひとつは、既にネットでは広く伝えられている「朝日新聞記者による本村さんへの無礼で無神経極まりない質問」の件。その背景には朝日新聞の傲慢な思想と横暴な思い込み、そして「国民は朝日新聞にひれ伏すべき愚民」という姿勢が透けて見えます。
もうひとつは、例の腐れクズ弁護士どもの言いぐさです。余りにも長い上にくだらなすぎるので、リンクだけ貼っておきます。
【死刑判決で弁護団(1)】「裁判所は被告人の心を完全に見誤った」
【死刑判決で弁護団(2)】「被告は冷静に『真実を述べてきた』」
【死刑判決で弁護団(3)】「事件は厳罰化のために使われた」
【死刑判決で弁護団(4)完】「私たちの弁護は間違っていない」
(いずれも産経新聞)
本当にクズで最低だな、コイツら。
上告しようが何だろうが、どのみち死刑は確定でしょう。何と言っても最高裁が広島高裁に差し戻しさせた理由が、つまるところ「死刑以外ありえない」という理由だった訳ですから。ゴミクズどもは、最高裁でも自らの「死刑廃止論」のために見苦しく汚らしい醜態をさらすのでしょうけれど、最高裁でも論理明快にゴミクズどもを否定し、死刑判決を確定させていただきたい。
死刑は絶対に存続させるべきだ。
むしろ、もっと積極的に用いるべきである。
これが、死刑に対する朕の持論。死刑廃止なんてキチガイの戯言だね。




